京都の地球科学（二五九）　　　　2015年11月号

      内モンゴルの大草原
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　尾池和夫

　中国に初めて行ったのは、私が三五歳になったばかりの、一九七四年のことであり、そ
の後ずいぶん多くの機会を得て中国大陸の各地や台湾をたびたび訪問して、地震や活断層
のことを調べて紹介してきた。目的が主として大規模地震の調査であったこともあって、
訪問したのは大陸の活断層地帯と台湾のプレート境界の地域であった。
　最近、やはり大規模地震の起こらない地域の地形や地質を見て活断層地域と比べてみた
い思いが強くなって、昨年は貴州省を訪問して、このシリーズにも旅行記を書いた。その
とき北京で中国漫画学会の会長である陶冶さんたちとの打ち合わせ通り計画が実現して、
長年の希望であった内モンゴル（内蒙古自治区）の大草原を、二〇一五年八月下旬に訪問
することができた。
　八月一八日火曜日の早朝、関西空港から、京都大学で環境とごみの研究をしている浅利
美鈴さん、京都造形芸術大学博士課程の小野塚佳代さんと葉子と、ＡＮＡのラウンジの部
屋に集まって出発した。北京へのルートが混んでいるという理由で三〇分ほど遅れて北京
空港に着いた。ずいぶん多くの旅行者が入国手続きの前に並んでいる。成田空港から、や
はり遅れて着く漫画家の牧野圭一さんを待った。北京空港には陶冶さんと羅潔さん夫妻、
京都大学で博士学位を得て中国で活躍する徐紀人さんと趙志新さん夫妻が出迎えてくれた。
　陶冶さんたちと北京市の北部にある北京友誼賓館貴賓楼に着いた。そこで北京市で環境
関係の分野で活躍する王徽さんが合流して、全員で便宜坊に移動して食事を楽しんだ。色
とりどりの野菜料理と北京●（火偏に考）鴨（ベイジンカオヤ）を陶冶さんが選んだ。い
わゆる北京ダックである。天安門広場の南の前門にある、一八六四年に開業した全聚徳●
(火偏に考）鴨店とはまた異なる美味しさを、初めて経験できて堪能した。便宜坊●(火偏
に考)鴨店は、一八五五年に崇文門街で営業を始め、昔の金陵老便宜坊の調理法を受け継
いで、南方式の北京ダックを提供しているのだと説明書にある。
　翌日八時にホテルを出て北へ向かう。陶冶さんと王さんが自ら運転し、さらに陶冶さん
のオフィスから若い人たちが運転して、三台の乗用車で北に向かう。自由の効く楽しい旅
行を計画してくれたので、旅を自分たちの希望で楽しむことができる。
　居庸関長城は、北京市内から約５０キロ余りの場所にある。北京市昌平区にある。北京
の北西を守るために重視された最後の関門である。中国の関所は規模が大きく雄大である。
辺境の守りであるが平時は美しい観光地である。居庸関の南の入り口である雲台の中央に
はアーチ型の通路があり、その壁に金翅鳥、四天王の彫刻がある。サンスクリットやチベ
ット、ウイグル、パスパ、漢および西夏の、六種類の文字で陀羅尼経文と、雲台の建設の
由来を記す「造塔功徳記」が刻まれている。
　ここは八達嶺へ向かう途中で、長城は難攻不落の地であったが、今は山頂まで登ること
ができる。急勾配の階段である。頂上からの景色は「居庸疊翠」と呼ばれて「燕京八景」
の一つであるが、私たちは先を急ぐので麓での記念撮影だけにした。

　　長城や烽火連ねし山眠る　　　　　　　　　有馬朗人

　河北省の北部、張家口市北で高速道路を出て、街の中のレストランを王さんが見つけて
くれた。張家口市は河北省北西部にあり、かつてはモンゴル語で万里の長城の門を示す
「ハルガ」または「カルガ」という名でも呼ばれていた。山間の盆地で、北は内モンゴル
自治区に接している。市街地は清水河の両岸に広がり、東、西、北の三面を山に囲まれて
南北に細長い街である。耕地が三〇パーセント、牧草地が一五パーセント、森林が二〇パ
ーセントを占め、牧草地面積が河北省では承徳市に次いで第二位である。北部地域は牧畜
が主産業である。
　南部を流れる桑干河、洋河、潮白河の沿岸は肥沃な平野で、穀物や果物を生産する。水
資源が豊かで多くのダムがある。
　北京市と内モンゴルの包頭市を結ぶ鉄道があり、高速道路網が河北省と内モンゴル、中
国西北部、モンゴル国と北京市とを結ぶ。張家口市は交通の要衝で、物資の集散地、軍事
的に重要な地である。蔚県と?鹿県の境にある小五台山山地は太行山脈の北部に当たり、
平均海抜二〇〇〇メートルで、その主峰である東台が、二八八二メートルで、これが河北
省の最高峰である。
　張家口市から北東へ向きを変えて、北京を出発してから一〇時間ほどで、内モンゴルの
経棚鎮にある経棚飯店に着いた。王さんの弟、王氏の友人たちが集まっていて、久しぶり
の王さんの帰郷を喜び、私たちを歓迎してくれた。経棚飯店の社長も一緒に夕方からの大
宴会が始まった。
　宴会は乾杯の連続であるが、とりわけその日のピークは、羊の丸焼きの登場である。そ
れを食べるためには儀式がある。白いショールを首にかけて、なみなみと馬乳酒を注いだ
鉢を持ち、右手を浸して酒を天に捧げ、また酒を地に捧げ、そして羊に十字を切る。そし
て馬乳酒で乾杯して羊をさばく。國窖という名の三八度の白酒で乾杯が続く。おいしい白
酒で、有名な濃香型の白酒である五粮液（四川省宜賓市）と同じ所の製品だという。乾杯
が一人ずつ続くので、私を心配して陶冶さんが制してくれた。王さんの弟は図書館長で、
この土地で活躍している。
　浅利さんが持って来た糠漬けの胡瓜を、ホテルの社長が食べてみて、乳酸菌が健康にい
いので、このホテルの朝食に出したいという。宴会場にはカラオケの設備があって、中国
語で日本の歌謡曲を皆さんが歌ってくれる。

　　夏の日のしづしづ暮れし馬頭琴　　　　　　上村占魚

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